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第2章 人間のたどっている道
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<地球上の生物の生活>目次へ戻る  ttplanningへ戻る

  10数万年前の旧人、ネアンデルタール人は他の動物とは異なり、ほぼ完全な二足歩行を完成し、脳の大きさは1300ccくらいまでになっていた。この間の進化は、単一の地域で起こって全地域へ広まったのではなくて、ヨーロッパ、アジア、アフリカの各大陸でそれぞれ起こっている。

  火を使用し、大型動物を狩猟した原人の能力を受け継いだネアンデルタール人は、死者に花をそえて、丁寧に葬る心を持ち、すでに人間らしくなっていた。石器の道具もかなり進んだ形に改良されている。

  コミュニケーションの手段である音声も、意志伝達の出来る程度に使われていたと思われる。大型動物を狩猟するために、共同作業でおこなわれ、集団でグループを作っていたとみられる。住居は洞窟のほか、平地住宅に住むようになっていた。すでにこのころから、彼らは死者を埋葬し、花をたむけ、身内との告別に涙を流し、長老や勇者を敬い、悪を憎むといった原始的な宗教が発達していた。

  上記のようにして出来上がったネアンデルタール人の創った文化は、ほぼ5万年前に、新しく置き換えられた。新人のクロマニヨン人によってである。彼らは狩猟の対象によって一箇所に定住したり、移動したりした。住居は洞窟や、一時しのぎの野外テントも利用していた。もっとも進んだ定着住居は、東ヨーロッパやシベリアのマンモスやトナカイの狩猟民によって作られた。洞窟には様々な壁画が残されており、宗教的な儀式もおこなわれていた。

* ラスコー洞穴壁画、アルタミラ洞穴壁画(B.C.2000~10000年頃)

B.C.1万年〜B.C.2000年の時代>

  氷河時代が終わって、気候温暖化により人類は新しい環境へ対応していった。しかし、まだこの時代のヒトは他の生物同様に食料を確保することが一番の仕事であった。その後

日本列島も温暖化が進み、ヒトは移動生活から、森林地域で定住生活を始めた。土器が発明され、煮炊きで進歩した食生活が始まった。例えば、

    * エジプトに定着農業始まる(B.C.8000年頃)

    * 西アジアのザグロス山脈の麓では麦の農耕作業が始まっている(B.C.8000年頃)

   * アフリカの気候が湿潤化し、トウルカナ湖周辺で漁労社会が始まった(B.C.7500)

        * 中国、黄河上流から中流にかけて、鮮やかな文様の土器が作られた(B.C.4500頃)

    銅・青銅の冶金始まる(青銅器時代 B.C.4500年頃)

   * 野生馬が南ロシアで家畜化され、馬の利用が普及した(B.C.4000年頃)

      潅漑農耕が発展、交易が始まり、メソポタミア南部に都市が出現した。(B.C.4500

       インドのアッサムから中国の雲南地方にかけて稲作始まる。(B.C.4000年頃)

       ペルーのアンデスの高地でリャマの飼育が始まり、定住村落出現。(B.C.4000年頃)

       ヨーロッパで家畜が再発見され食用から運搬の動力源となる。(B.C.3500年頃)

       ナイル川流域で潅漑農耕が始まる、共同体から部族国家へ。(B.C.3500年頃)

       現在のイラク、メソポタミアで運河を整備し、神殿と城壁をもつ都市国家、ウルク、ウル、エリドウが現れ、シュメール人を中心とする都市文明の成立。(B.C.3100年頃)

       ピラミッド建設や鉄の冶金始まる。中国医学の始祖、炎帝神農(B.C.2500年頃)

       日本は縄文時代の中期、世界的に温暖で、現在より2℃くらい高温だった。(B.C.3000年頃)しかし弥生時代に入る頃は現在より12℃低温だった。(B.C.500年頃)

       医学最古の文献「エーベルスパピルス」、ギリシャ人のミュケナイ文化(B.C.1500)

       地球上の気候の変化は、各地でヒトの生活に大きな影響を及ぼし、それに対応する文明社会を各地域でつくっていった。その人間的活動とは、経済・政治、民族紛争、都市活動、疾病対策、人口増対策、宗教、芸術、教育など様々である。

<宗教への芽生え>

 以上のように、紀元前数千年の間にヒトは他の動物とは違う方法で生きることを学んでいった。生活の基本は当然のことながら、衣食住である。しかし、これだけならヒト以外の動物でも同じである。

 世界に1400万種以上生存しているといわれる動植物の生態が、たびたび報道されるが、それは自然界の中で素晴らしい生き方をしていることがわかる。植物の中には、動物と協力しながら生存するための栄養を確保し、子孫繁栄のための独自の生殖機能を備えている。動物たちは自分の家族を護るための種々の備えをし、食料を確保するための生存競争を日夜おこなっている。人間と比較して創意工夫の能力に欠ける彼らは、すべて肉体的な弱肉強食の世界に生きているのである。

 これら動物の生態は第一章で解説したように、過去からのDNA遺伝子を受け継いで、種族を護ってきている。しかし生存競争は厳しく、今から過去400年間に根絶もしくは野生下で絶滅した動物の種類は726種にも及んでいる。

 もし人間が他の動物と同様に、単に衣食住のみを追及する生き物であったとするなら、やがて人間の絶滅の時期がやってくるだろう。実際に、過去の歴史の中でもすでに消滅した文明の国が数多くあることがわかっている。12000年前の地球上には、想像を絶するような高度に発達した文明が、花を咲かせていたという。(参考資料12,13,14

 これらの文明社会が一挙に崩壊した理由には、隕石の衝突や、大洪水などの自然界の異変によるものもあるだろう。その後のインカ帝国やマヤ文明のように人間による侵略によって崩壊した国や集団も数多くあった。

 このように古代から全く動物と同じように富(主として食料)の奪い合いのために人間同士の争いが続いたのである。その証拠は、燃えない化石、燃えない建造物及び墓石や人骨、装飾品等からしか知ることができない。

 日本では建造物のほとんどが木材であったため、建造物の遺跡は残っていない。しかし建物の建設跡や墓に埋められた人骨などから推測することが出来る。例えば、佐賀県神崎市で約17年前に発掘された広大な吉野ヶ里遺跡がある。

<吉野ヶ里遺跡>

これはB.C.300年からA.D.300年くらいまで600年間も続いた弥生時代の遺跡で、ここで2900個以上の甕棺墓が発掘され、種々の貴重な資料がのこされている。弥生前期(B.C.200~100年頃)には2.5ha規模の集落であったが、弥生中期には20ha規模に発展し、弥生後期(A.D.100~200年頃)には40haを越す国内最大規模の環濠集落に発展している。図表5は発掘された当時の建造物の再現図である。

                  

                              図表5

邪馬台国がどこにあったのかの問題は長年議論されてきた。吉野ヶ里はその有力な候補として注目されているが、まだ結論は出ていないようだ。図表6に示した写真は発掘された等身大の甕棺で、大人の体が入る大型のものから子供の等身大の甕棺も多数見つかっている。長さ600mにも渡って2列に埋葬された「甕棺墓列」をはじめ、丘陵の各所にたくさんの墓地が設けられている。

これらの甕棺には多くの首飾り等の装飾品が納められており、集落の中でかなり上位のレベルにあった人たちと推測されている。図表7は甕棺の中に頭のない人間の骨が埋葬されていたものである。この人物は集落の中でかなり上位の幹部であるか、もしくは集落の長であったのではないかと推測されている。他にも多数の弓矢や刀で傷つけられた人骨の埋葬された甕棺も見つかっている。                         

      

             図表6                           図表7 

今から2000年も前にこのように大規模の環濠集落が佐賀県にあったこと自体不思議に思われるが、当時の朝鮮半島から米つくりや銅器、鉄器の技術が導入されていたことも注目されるところである。40haという当時としては大面積の集落があって、何1000人の人が集落を作っていたかわからないが、かなりの人員であったと思われる。集落の一部には収穫された穀物の貯蔵所があり、他の集落との物品の交換所があった。現在でいわゆる農業、漁業、工業、商業すべてがこの集落でおこなわれていたのである。

当然のことながら、食料など富の奪い合いが起こる。外部からの侵略も受ける。そのために集落の周りには環濠が掘られ、物見やぐらが作られ、兵士が外部からの攻撃を見張り防いでいた。

現在の吉野ヶ里遺跡は、出来るだけ元通りに当時の建物、作業所、集会所など復元するように作られている。北内郭という集落の中心になるところには、3階建てのやぐらが建てられており、いわゆる本部として上部のものが居住していた。二階の部屋には重要な政策を審議するための会議場があった。(図表8恐らく、集落の長の下に、その年の収穫がどうであるか、外部の侵入をいかに防ぐかなど重要なことが議論、決定されていた。更に同じ建物の三階に上ると、図表9に示したように、祈祷所があった。これは発掘された甕棺の中のひとつに女性の遺骨があり、特別に装飾品の跡があった。その他の地域で発掘された遺跡や遺品などから推測して、このような宗教的な祈祷が行われていたものとして展示がされている。前の図表7に示したように首のない遺骨の甕棺ほか、他部族との争いによって犠牲者となった多くのものを弔う儀式はこの時代からすでに存在していたことは明らかである。当時の季節変動によって食物の豊作の時もあれば、凶作のときもあったであろう。そのために太陽に対して感謝の祈りをすることは多くの遺跡でも認められている。それは一つの宗教行事であった。

         

               図表8                         図表9

B.C.2000年以降の世界>

  第一章の課題に遡るようだが、地球の歴史は色々の意味で繰り返している。古生代の末期、中生代の末期でも、また新生代第四期でも1万年前までに数回の氷期があった。このために生息してきた生命は多くの変化をしてきたことは前述のとおりである。ところが不思議なことに、46億年前地球の誕生、36億年前生命の誕生、26億年前シアノバクテリア類の出現と酸素の供給、16億年前多細胞生物の出現、6億年前有穀生物の出現、6500万年前に恐竜の絶滅、600万年前に人類の出現、60万年前に原人の出現、16万年前に旧人の出現、6万年前に新人の出現と、不思議なことにすべて6に関係している。

  世界の歴史を紐解くと、今から4000年前、すなわちB.C.2000年以降しか具体的に知ることが出来ない。それは何故かというと記録する方法がなかったからである。考古学的な方法では化石や遺跡の発掘によって、その時代の全体をつかむことは出来るが、全く完全なものとはいえない。

  記録がないから、B.C.2000年前の史実を完全につかむことは不可能である。だから若しかしたらB.C.2000年以上前に文明の発達した世界があって、気候の変動や天変地変によって全く消えうせてしまったかもしれないのである。そのことが前述した参考資料12,13,14に述べられている。その内容もまだ研究し尽くされていないことは多いが、最近のDNA鑑定によってだんだん明らかになりつつあるようだ。

* 18年ごとの日食(サロスまたはカルデア周期),バビロニア人月の公転周期を知り、日食、月食の予言をする(B.C.1000年頃)

誕生したばかりの人間の脳は約400cc程度で猿と変わりないことは第一章で述べた。それが一生涯の間にだんだん成長して成人になると1500cc近くまで成長する。この間に人間は学習をして多くの知識と知恵を取り入れるから、人間生活の向上が達成されるのである。他の動物にこれを要求しても全く不可能である。しかしながら学習する人間であってもそのレベルの違いは大きい。しかも世界の中で、生活を始めた環境、地域、周りの人間の環境によって多くの異なる人間に分かれていく、そして一生を終わる。

  その異なる人間がある社会グループの指導者になり、他に影響を与えるようになるから問題は起こるのである。アフリカを出発したヒトの祖先は世界の各地域に国を作り、固有の言語を作り、固有の社会システムを作っていった。しかし国によって不安定な国もあれば、平和を維持続ける国もある。国境をこえて紛争を起こす国もある。国そのものが消滅することもある。常にその国の指導者次第である。

この頃、科学や哲学などでも著しい発展があった。
 
           ピタゴラスの地球球形説・地動説、宇宙の根元物質説出現(タレスの水、アナ クシメネスの        空気、ヘラクレイトスの火), 錬金術芽生える、中国でも連丹術(B.C.700頃)  
         
*  イオニアの機械文明起こる
    *  エンペドクレスの4元素説(地水火風)
    *  デモクリトスの哲学的原子論
    *  ヒポクラテス、ギリシャ医学樹立「ヒポクラテス集典」(B.C.500)
           アリストテレスの同心球説と科学的球形説、鋳鉄の発明(中国)(B.C.400)   
           ピタゴラスの弟子天動説を唱える、アルキメデス浮力の原理発見、揚水機を作る
    *  ユークリッド幾何学成立(B.C.300)

  一般の人々はどうか?紀元後の世界の歴史をたどると各国、各地域に分かれた人間は他の動物と異なり、大なり小なりのグループを形成し、知恵のある人が知恵を出し、言語を作り、文明を形成し、より多くの富を分配する方法を考案して平和な国を作ることを理想に努力してきた。しかし中には悪い人も出現する。それは300万年前に人間の祖先が現れたとき、多くの異なるDNAを持った人種から始まっているからだろうか。

  人々は生きるためにいろいろな職種の分野で活動して富(衣食住)を確保してきた。政治家、経営者、学者、教職者、組立工、など多種の分野で活躍する人、ほどほどの仕事で、生活を営む人、さまざまである。その結果人類は、2000年の歴史の中で政治、経済、科学、教育、文化、農業等多くの発展を遂げている。しかし悪いDNAを持つ一部の人が世界の秩序を乱し、国を混乱させ、他の国を侵略し、戦争を起こし、歴史を繰り返しているのが現状である。一方よいDNAをもつ人たちによる科学の発展は著しい。

  紀元後から今日までの人々に幸せを与えた科学の発展をたどってみると、

参考資料15から引用)

       AD100 プトレマイオス天動説を完成
       500    版木の発明(中国)
       800    火薬の発明(中国)
       1000   錬金術ヨーロッパへ、羅針盤の発明(中国)
       1100   紙の発明(ヨーロッパ)
       1200   火薬の発明(ヨーロッパ)
       1300~  木製活字(中国), 金属活字(朝鮮)
       1400~  コロンブスの航海、鋳鉄発明(ヨーロッパ)、グーテンベルグの印刷術の発明             デカルトの人間機械論
       1500~  マゼラン世界一周航海、ゼンマイ時計の発明(ヨーロッパ)、ゲスナー植物の             種と属を区別
       1452~1519  レオナルド・ダ・ビンチ 
       1473~1543  ニコラウス コペルニクス 原理
       1544~1603  ウイリアム ギルバート 法則
       1564~1642  ガリレイ ガリレオ 
       1571~1630  ヨハネス ケプラー 法則
       1623~1662  ブライス パスカル 原理
       1627~1691  ロバート ボイル 法則
       1629~1695  クリスティアン ホイヘンス 原理
       1642~1727  アイサック ニュートン 法則
       1646~1716  G.W.ライプニッツ 法則
       1686~1736  G.D.ファーレンハイト
       1717~1783  J.le.R ダランベール 定理
       1736~1806  C.A.クーロン 法則
       1736~1819  ジェームス ワット
       1745~1827  アレサンドロ ボルタ
       1775~1836  アンドレ マリエ アンペール 定理
       1776~1856  アメデオ アボガドロ 法則
       1777~1851  ハンス C. エルステッド
       1791~1867  マイケル ファラディ 効果
       1818~1889  ジェームス P. ジュール 法則
       1845~1923  ウイルヘルム C. レントゲン
       1859~1906  ピエール キュリー ラジュームの放射能発見
       1865~1950  長岡半太郎
       1874~1937  G. マルコにー 通信
       1879~1955  アルバート アインシュタイン光量子説、相対性原理
       1887~1961  E. シュレーディンガー
       1900~1958  W. パウリ 原理
       1901~1954  エンリコ フェルミ 法則
       1901~1976  W.K. ハイゼンベルグ 原理
       1907~1981  湯川秀樹 中間子理論
*   1917     スニーカー  U.S.ラバー社
       1920     ラヂオ放送
*   1924
    冷凍食品  クラレンス・バーズアイ 
       1926     テレヴィジョン発明
*   1926     ロケットエンジン  ロバート・ゴタート
*   1929     合成ゴム  ジュリアス・ニーランド
       1932      ローレンス サイクロトロンを発明
*   1934     ナイロン  ウォレス・カローサス
*   1938     ゼロックス複写機   チェスター・カールソン
*   1939     オートマチック・トランスミッション  アール・トンプソン
*   1939     ヘリコプター  イゴール・シコルスキー
*   1942     コンピューター  ジョン・アタナソフ   
  1945~       W.B. ショックレイ 半導体の開発 エレクトロニクス時代
*   1945     原子力発電 
*   1947     携帯電話   D.H.リング
*   1947     タッパーウエア  アール・タッパー
*   1947     電子レンジ   パーシー・スペンサー
*   1950     クレジットカード  フランク・マクナマラ 
*   1951      原子力発電始まる
*   1952     コングロマリット  ロイヤル・リトル
*   1953        DNAの二重ラセン構造解明   ワトソン&クリック
* 
 1955     ファースト・フッド   レイ・クロック
*   1956     コンテナ輸送    マルコム・マクリーン
*   1956     ディスク・ドライブ   レイノルド・ジョンソン
*   1962     モデム   ベル研究所
*   1968     マウス   ダグラス・エンゲルバード
*   1969     CCD     ジョージ・スミス   ウイラード・ボイル
*   1970     CD      ジェ―ムス・ラッセル
*   1972     CT       ゴッドフリー・ハンスフィールド   アラン・コ―マック
*   1976     コンピュータ時代  スティ-ブ・ジョブス  スティーブ・ウォズニアック
*   1984     LCD 液晶ディスプレイ   RCA 研究所
*   1987     ブロザック(抗ウツ剤)    レイ・フラー
*   1991     WWW    ティム・バーナース・リー
*   2000     DNA配列自動解読装置   セレラ・ジェノミックス社   
                  

科学はここまで進歩したにもかかわらず、世界の各地では戦争が絶えず、富の奪い合いが続いている。幸いにも日本の国は島国であったため、外国からの侵略を抑えることが出来て、長い間平和を維持することが出来た。ただ第一次世界大戦、第二次世界大戦で海外への進出は最終結果として不幸な結末となり、多くの犠牲者も出す結果となった。世界で唯一の原爆被爆国となり、敗戦を経験したお陰で日本は永遠に平和を維持すると宣言した世界でも珍しい経済大国となり、その独自性を維持していることは国民にとって幸福なことであろうか。逆に平和ボケの様相を呈しているのが現状であろうか。

  世界の各地ではいまだ紛争が絶えず、同じ歴史を繰り返している。環境問題も次第に深刻となってきた。科学の進歩は世界全体に大きな幸福を提供したが、逆に科学の進歩のために不幸な結果をもたらすこともあった。

  筆者には、平和ボケのために、多くの日本人が宗教と科学の本質を知らずに、不幸な一生を過ごしてしまっているように思われるのである。

 

<参考資料>

12.       別冊歴史読本 「世界 謎の古代文明」 平成496日発行 新人物往来社
13.       佐藤有文 著 「超古代文明の謎」 平成81023日第10刷発行 グリーンアロー            出版社
14.       A・ゴルボフスキー著 「失われた文明」1997415日第48刷発行 講談社発行
                   中山一郎 訳 
15.  端山好和 著   自然科学史入門 199835日第1刷 東海大学出版会 




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