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第4章 正しい宗教と人間の生き方

<日本人の宗教観について>contennts目次へ   ttplanningへ戻る

 現在の日本人の間で、「宗教」と言えば、頭から拒絶する人が多くなっている。そのために、実際には素晴らしいことをして社会貢献をしている立派な方々が、故意に「宗教」という言葉を避けているのがしばしば見られる。

 その原因は大きく分けて次の二つである

1)1980年代以降、オーム真理教などの「カルト教団」が大きな事件を巻き起こしている。

2)宗教評論家その他、有名な文化人が、よく理解もせず出版物等で一般人に誤解を与えるような執筆・講演をしている。

 (注)*カルト(cult)とは、ラテン語colere から派生した宗教色の強い文化活動のこと

    中国語では邪教と訳され、排他的な宗教団体が異端視している宗教を「邪教」と呼んでいる

上記2)については多くの出版物が書店に氾濫しているが、例えば本書の冒頭「はじめに」で述べた、引用著書 小室直樹著の日本人のための「宗教原論」がる。この著者が大変よく勉強しておられることは認めるが、本の多くのページの中に基本的誤りが書かれている。全てのことを取り上げられないが、

例えば、19ページに、「宗教、このうえもなくおそろしいもの」などの項目がかかげられている。例にあげてあるのは、米国と日本のカルト教団であって、これが宗教だと議論されては困るのである。(参考資料20

 さらに、20ページから取り上げられている旧約聖書のなかの「ヨシュア記」の引用で神が多くのキリスト教徒に現地人を殺すように命令したと書いてあるが、イエス・キリストが十字架にかけられた後100年も経ってから書かれた歴史の書である。神でない人が多くの土地や富の奪い合いで、殺しあったことと神の教えとを混同してしまっている。

日本のみならず、世界中で政治と宗教のことが混同されていて、一般の人たちを混乱させている。例えば、2001911日のアメリカの貿易センタービルに突入した飛行機の犯人はアルカイダの仕業であることがわかっているが、これは過激派の誤った思想の連中であって、宗教とは関係ないのである。アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで無知なる人が使われて、自爆テロで多くの人命が失われている。彼らも、「アッラー」のために死ねば天国へ行けるなどとだまされて、死に至っている。何とかして助けてやらねばならないが、今の所、名案がない。イラクの元大統領フセインも然り、彼はほんとにイスラム教徒だったろうか? 名前だけのイスラム教で、政治に利用していただけではないか、と思われる。

<正しい宗教、その条件>

 日本における宗教の信者数は、文化庁「宗教年鑑」によると、神道系が約1600万人、仏教系が約9600万人、キリスト教系が約200万人、その他1100万人、合計21500万人となり、日本の総人口の約2倍となる。日本人は異なる二つの宗教に属していることになり、何といい加減な者たちだと言われよう。問題は行政官庁のいい加減さとも言われよう。信者の数をどのように計算しているかの問題かも知れない。      

 信者数はともかく、宗教法人の選定基準がいい加減であることは第3章で述べた。どれが正しい宗教で、どれがいい加減の宗教、又はカルト教団であるか定義がないから、文化庁としてもその判定に困るであろう。本書では、第1,2,3章で人間の歴史をたどり、何故人間が宗教を確立し、信仰するのかの一面を見てきた。誰もが認める正しい宗教の選定基準は決めるのは難しいかも知れないが、あえて、まとめておきたい。   

1)宗教団体の基本となる教義は明確になっているか。

   2)その教義はカルトではなく、世界4大宗教のいずれかに関連しているか

   3)教団の教主、或いは指導者は正しい修業の下に教義を確立、引き継いだ人か

   4)科学に反することをしていないか

   5)十分な信者と設備を整えているか

   6)信者はただ形だけの信仰ではなくて、厳しい修業の内容が決められているか

新興宗教という言葉がいい加減な定義で用いられているために、誤解を招いていることが多い。ここで世界4大宗教より後の時代に創立された宗教団体が新興宗教と定義するならば、立派な宗教団体も多い。例えば、参考資料21「宗教経営学」にはいくつかの団体が紹介され、その歴史や内容が書かれている。

<間違った宗教>

 あるインターネットの検索で宗教を探してみると、65の宗教が示された。この中には世界宗教のキリスト教、イスラム教、仏教もそれぞれ一つとして数えられている。如何にいい加減な宗教も一般の目に触れるようなところに示されているか、困ったことである。新興宗教や新宗教などの名称がいい加減に用いられているので、日本人の宗教に対する誤解の一因にもなっている。

 例えば、参考資料22「新宗教の神々」に取り上げられている宗教団体の一例を挙げると、

(真理の友教会),(エホバの証人),(イエスの方舟),(ニューサイエンス),(シャーマニズム)などが取り上げてある。この著書の発行された後に、問題を起こしたカルト教団も多くあるが、ここではこれ以上述べないことにする。

<日本へ伝来の仏教>

 百済から日本へ仏教が伝来したのは、A.D.538年(一説には552年)、飛鳥時代である。この頃の日本は色々な政治家が勢力争いをしており、仏教が入ってもそれを利用したり、建立された寺を焼き払ったり、政治の道具にされたようである。仏教の戒律は輸入したが僧侶(サンガン)はつれてこなかった。そのため日本の仏教はチベットや中国その他の仏教とは違う形で定着てしまった。

 日本の古い仏教は、僧侶だけが仏教徒で、一般の人たちは一切仏教の教えを学ばない。しかも僧侶はその宗派の本部で免許を貰って、お寺に入り仕事を始めるのだが、葬式のとき以外めったに檀家の一般人と交流はない。お寺の経営は世襲で行われることが多いが、筆者が先祖からひきついでいるお坊さんのいない臨済宗のお寺が九州の佐賀にある。一年にいっぺん檀家が集まって施餓鬼法要が行われるが、坊さんは兼務で、近くのお寺からみえる5人のお坊さんにお会いするのはその一日だけである。施餓鬼法要のお経は40分くらい続くが、5人のお坊さんが合唱するお経は何を言っているのかさっぱりわからない。 

参考資料23「ブータン仏教から見た日本仏教」の中に次の文章が書かれていた。98ページの中に----読経に関して、最近次のような文章を読んだ。ある寺の住職である高橋芳照氏は、でも助かりますね、お経は漢文ですからどこでやめてもそこが終わりなんだ、と聞いている方は思うでしょうから。くれぐれも和文経典なんかは使いませんように(寺門興隆20028月号)と、何と人を馬鹿にした発言でしょうか。 

 一方、地方にあるお寺の経営は大変厳しいように思われる。上記の兼務で来られる住職の一人が、筆者にこう言われたことがある。お寺の後継者がいなくて困っている。その理由は、子供はいても跡継ぎにならないという、坊さんでは食うては行いけない----と。何かが間違っているように思われる。このような伝来の日本仏教、お寺の数は75000もある。筆者が2005110日に調べた結果である。

<日本の宗教、その根本問題>

 日本の政治の基本問題に遡る必要があるかもしれないが、何か面倒なことになると触らぬ神に祟りなし、と問題を先送りしてしまうから、極めてあいまいな宗教論が町にあふれている。

 その日本国憲法にも謳われている、1) 信仰の自由 2) 政教分離 が如何にも正義のように考えられているところに問題の根本原因があるように思われる。第一章から第三章にわたって歴史をたどったように、人間が必然的に宗教を求めるのは地球上で多くの艱難辛苦があるからで、何か完全なものに頼りたいためである。

 艱難辛苦は人が仕事をして富を求める過程で起こってくる問題だから、人それぞれの環境と努力の結果に依存してくる。ある程度の成功結果で、物質世界に満ち足りてくると、人間はその人間としての本質を忘れてしまうのである。人間以外の動物がしていることと同じようなことをするだけでは意味がないことを知らなければならない。

 信仰の自由と謳って勝手な信仰をして良いわけがない。個人が、天から啓示をうけたと言って、新興宗教を起こすなど、許されるはずがないのである。政教分離も政治行動が人間の倫理に反することを平気でおこなっても、許される原因を作ってしまっているのではないか。政治が行うのは多くの市民生活の上で不合理をなくし、市民が平等に生活できるための仕組みと法律を設定することである。宗教はそのレベルとは違う、もっと高いところからの人間行動を律することである。

ここでも、マスコミや出版物の影響による、無知、無理解、誤解、偏見、勘違い、が多いので警告しておきたい。

 <参考資料>

21. 小室直樹 著 「日本人のための 宗教原論」   200335日 第11 刷  徳間書店

22. 舘澤貢次 著 「宗教経営学」          2004330日      双葉社

23. 西島建男 著 「新宗教の神々」         199193日 第6刷    講談社現代新書

24. 今枝由郎 著 「ブータン仏教から見た日本仏教」200585日 第2刷  日本放送出版教会

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