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宗教無視の
人々




<地球上から争いが絶えないのは何故か>contentsへ戻る   

それは、人間から見て悪い人間が存在するからである。その悪い人間は他の動物の立場から見れば、悪い人間ではなく、弱肉強食の世界から見れば当然の、強い人間と理解されるに違いない。しかしそれは他の動物や人間にとっては正に天敵でもある。

  お釈迦様は動物ではなく人間の社会での、弱肉強食的醜い争いを見て、きびしい修業の道に入られた。悟りを開かれたお釈迦様は生き物、それは全て命あるもの、衆生を利せんがための故に、と祈りを深められた。

  仏教の国では、あまり争いや戦争は起こっていない。紛争の多い国は仏教以外の世界宗教の国々である。しかし、第三章で述べたように、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も名前は違えていても同じ旧約聖書から出発している神に帰依しているはずである。第三章で述べたように、世界4大宗教のいずれも戒律としての、禁止項目があって、かつ同じ項目がある。第三章に掲げたモーゼの十戒における第六戒、第七戒、第八戒、第九戒は仏教(朝夕のおつとめ)では五戒文として全て含まれている。五戒文の最後にある不飲酒戒は、イスラム教では特別の場合を除き絶対に飲んではいけないことになっている。このように宗教の根ざすところは多くのものが共通している。

  それにも拘わらず戦争が無くならないのは何故か。戦争を起こす原因を作っている人間はどの宗教の信者でもないのである。単に登録しているに過ぎない信者も多いだろう。原理主義などといって宗教の一派のようなことを言いながら、過激に走っているに過ぎないのではないか。

  参考資料20の著者で評論家の小室直樹氏は常にキリスト教徒が殺戮を繰り返し、悪いことをしてきた、「奇態な」宗教であると断罪している。(参考資料27.それに比較してみると、イスラム教は戒律によって厳しく個人の行動が規定されており、それが生活そのものとなっている。だからキリスト教は奇態で、イスラム教は学ぶことが多いと断定している。この人は何か論法を間違えていると思えて仕方がない。

  前のローマ法王パウロ6世は、他の宗教とも仲良くし、平和を目指そうではないかとイスラム教やユダヤ教の責任者に呼びかけられたことがあった、しかしその後旨く進展しなかった。何故進展しないのか? 筆者の想像であるが、各宗教の僧侶、或いは指導者の中で平和を望まない者はいないと思われるが、宗教グループの運営とは別に過激派や間違った考えのグループの影響を避けられず、やむを得ず話合いに乗れないのではないか。

  米国社会に偏った思想で運営する学校経営もある。ダーウィンの進化論を教科内容からはずすということになって、騒いだことがある。これも大きな誤解である。第一章の生命科学から考察した結果、ヒトのDNAはサルと同じ祖先から出発していることはわかったが、サルがヒトに変わったなどとは誰も言っていない。恐らく、仏教以外の世界宗教がともに信仰している神、創造者の存在そのものが危うくなってくるから、科学の更なる発展を好まないのかも知れない。 アダムとイブの存在に対しても、ただ一組のアダムとイブを神様がおつくりになったなどの論理がおかしいのである。世界に広がったDNAの分布と種類から考えて一組のアダムとイブから出発することはありえない。5000組くらいのアダムとイブが必要になる。何故それが生まれたか? それは、現在のところ説明は出来ない。

  だからと言って、仏教以外の世界宗教を否定するつもりはない。太陽と地球の誕生から地球上にこんな素晴らしい人間の世界が出来たことにどんなに感謝しても、し尽くせないからである。

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指導者の資質

<指導者の資格>

  組織の上に立つ人は所属する人を指導する立派な人でなければならない。しかし、残念ながら世界の各国の指導者は現在、過去、未来を見渡してすべてが立派な指導者とは言えなかった。だから第5章で述べたように歴史の年表を大雑把に掲げてみると、ほとんどが戦争の歴史となっているのである。

  悪い人間が、国のトップになった場合、その国の国民は悲惨である。その歴史的事実が数多くあるのは誰でも知っている。現在でもひどい国はいくつか存在する。ただし、1991年にソヴィエト連邦が崩壊し、東西対立の壁が亡くなってから、中国のような共産主義国にしても政治家の質が変わりつつあるように思われる。そのため、例えばイラン、イラク、アフガニスタンのような国民が虐げられていると思われる国に対して大国がこぞって協力しながら介入をするので、ほんとに悪い政治家の国は段々長く続かなくなってきた。

  国の中で革命がおこり、王様の国から民主的選挙による政治の国へ変わったりするのは、多くの国民が不平等で貧富の差が大きいために不満が高まり、政治運動が始まることが多い。これらの事実を見る時、常に感ずることは、何故、せっかくの権力を手にした人たちが、国民のために尽くさないのか。自分の地位を守り、権力を維持したい気持ちは分かるが、国民のために、他がために考えない権力者はいずれ大衆から離反していくことは明らかだと思えないのが不思議である。

  国の指導者のことだけではない。企業の経営も全く同じである。組織のスケールは違っても、部下を指導する立場のマネージャーはその資質が問われる。企業の中の係長、課長、部長、役員、社長と上に行くほど部下が増えるのが一般的であるが、社長ともなれば、上記した国の指導者と全く同じ立場である。適切でない人がマネージャーになると、次のような事がよく見かけられる。

    1)結果がうまくいかない時、人の勢にする。最も駄目なのは部下が悪いと言って、責任逃れを      する

    2)本人の前ではいい顔をしていながら、蔭では悪口をいう

    3)上にはいい顔をして、下には必要以上に厳しい

    4)相手の前では賛成の顔をして、実際は反対である

    5)成功した人には嫉妬の眼で見る

    6)うそも方便と言ってうそぶく

    7)いざという時の、問題解決ができない

 

<経済問題と人間>

1.第1章から第5章まで人間の善と悪の根源を追求してきたが、良い人間と悪い人間
との区別をDNAから判定することはまだ出来ていない。1900年代のはじめ頃、Alexis Carrelが
極悪人の体液が通常の人と異なると表現したものの、明確な区別が見られたわけではなく
漠然とした表現であったと思われる。
  良い人間と悪い人間の区別が出来るだろうか? 今現在はその人の行動で判断するしか
ない。その行動とは人によって、立場によってまちまちである。人のいる立場によって社会に
対する影響も違うのであり、前に述べた政治家や指導者は多くの人に影響を及ぼすので
特に強調したいのである。
  今、いくつかの外国で騒ぎを起こし、政府に抗議をするというパターンが見られる。ひどい
場合はテロの行動を起こし、無差別に殺人を犯してしまう。多くの若者が何故このような行動を
起こすのだろうか?どんなDNAを持ち合わせていようと、特別極端なイデオロギーに染まった人
は別かもしれないが、通常の生活に困っていない、経済力を持ち合わせた若者は極端な行動を
するはずがない。
  
2.問題はその国の中での、貧富の差にある。貧富の差が大きく、その原因が政治家によって
なされている仕組みの結果が不平等であると思われるところに問題が起こっている。日本は
幸いにして、貧富の差は小さい、貧困の類に属する人も最近見られないこともないが、ごく
わずかである。
  中国では13億もの人口がおり、全体のGNPは日本を追い越して、世界第2位の経済大国
になったものの、その貧富の差は大きい。特に地方と大都市との経済の格差が広まり、
7億2000万人の農民の所得や生活水準は低い。貧困と分類される人口は数千万人と思われて
いる。(参考資料1.)(参考資料2.)

  インドも同様に人口が2020年には中国を上回ると言われている。GDPは1.54兆ドルと低く、
貧富の差も大きいが、宗教のヒンズ―教徒が多いために政治的暴動はあまり聞かれない。
全く宗教を否定している中国との違いがいずれ現れるのではないか。

3.米国にも貧富の差はある。ビジネスの成功者は日本の経営者とはけた違いの収入を得て
いるが,黒人などの低収入の人口も多く、マンハッタンの街を歩いていると物貰いが多くいる
ことは旅行者がよく経験することである。大きな暴動が起きないのは、民主主義の思想が行き
とどいて、成功者が社会全体を指導しているのは当然と思っているからであろう。

  ヨーロッパが大変な政治、経済のかじ取りが要求されている。ギリシャのように物を生産
しないで観光やお遊びのビジネス中心でいつまでも国の経済がなる立つはずがないと思って
いたが、それがユーロになってから他国との経済バランスが崩れるのは当然の成り行きで
あろう。このように世界的に米欧の時代が終わり、中国とインドが経済を引っ張る時代になり
つつある。このような時期によくある経済恐慌に至らなければよいがと心配である。

4.以上、世界の経済情勢は厳しい変動が起こっている。日本はその中では恵まれた状態
だが、政治の先行きには不安が感じられる。多くの家庭が中流意識で、多くの人が生活を
楽しんでいるが、企業の経営は厳しくなってきている。楽に慣れてしまった人達が、経済の
破たんなどに面した時にどう対処するのか心配でもある。ブータンのように、物質的には
恵まれず、GDPは日本の100分の一であっても国民の90%が幸福であると感じている。
このような生活が日本人に真似出来るかどうか?多くの日本人が仏教の心を少しでも取り
戻してもらいたいものである。

5.貧富の差があり、貧困に近い生活者であっても、ブータンの人達のように幸福と思う人が
日本人に少ないのは仏教の基本精神を忘れているからである。
 貪(ドン)・瞋(ジン)・痴(チ)の煩悩から逃れられない人が多いのである。詳しくは、貪淫(あくどいよく)、瞋(いかり)、愚痴(ぐち)の三つである。日常生活の中でわれわれが常に遭遇する心の迷いである。これを捨てることが仏教に沿った正しい生き方であるが、完全に守ることがなかなか難しい。前に述べた指導者の資質は正にここから区別されていくのである。
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懺悔の文
最後に平安の末期に創られたお経の一文を紹介して締めくくりたい。

蜜厳院発露懺悔の文

<覚鑁上人の作>

平安の末期、高野山が荒れているのを悲しんだ新義真言宗の祖として知られる覚鑁上人は、弘法大師の教えを復興すべく、教学と事相の集大成をめざして熱心に修業に励んだ。しかし、他の僧たちのねたみを買い、誹謗をうけ、大きな争いとなった。ついに、上人は、高野山を離れて根来の地に退いた。ここで上人が作られたのが蜜厳院発露懺悔の文(「みつごんいんほつろさんげのもん」と読む)である。

<全文>

我等懺悔す無始よりこのかた妄想にまとわれて衆罪をつくる、

1)身口意の業つねに顛倒してあやまって無量不善の業を犯す、

2)珍財を慳悋(けんりん=ケチ)して施を行ぜず

こころにまかせて放逸にして戒を持せず、

3)屡々忿恚(ふんに)を起こして忍辱(にんにく)ならず

4)多く懈怠を生じて精進ならず

心意散乱して坐禅せず、実相に違背して慧を修せず、恒に是の如くの六度の行を退して還って流転三途の業をつくる、名を比丘に勝って伽藍を汚し、形を沙門に比して信施を受く、受くる所の戒品(かいほん)は忘れて持せず、学すべき律儀は廃して好むことなし、諸仏の厭悪したもう所を慙じず、菩薩の苦悩する所を畏れず、

5)遊戯笑語して徒に年を送り、諂誑詐偽して空しく日を過ぐ

善友に隋はずして痴人に親しみ、善根を勤めずして悪行を営む、

6)利養を得んと欲しては自徳を讃じ、名聞を求めんと欲して他罪を毀る

7)勝徳の者を見ては嫉妬をいだき、無徳の人をみては?慢の生ず

)富饒の所を聞いては希望(けもう)を起こし、貧乏の類を聞いては常に厭離す、

故に殺し誤って殺す有情の命、顕はに取り蜜に取る他人の財、触れても触れずしても非梵行を犯す、口四意三互に相続し、仏を観念する時は攀縁を発し、経を読誦する時は文句を錯る、若し善根を作せば有相に住し、還って輪廻生死の因と成る、行住坐臥知ると知らざると、犯す所の是の如くの無量の罪、今三宝に対して皆発露し上る、慈悲哀愍して消除せしめたまえ、乃至法界の諸の衆生、三業所作の是の如くの罪、我皆相変代わって尽く懺悔す、更に亦その報いを受けしめざれ、南無慚愧懺悔無量所犯罪

これらの全文の意味については説明を省くが、なんども声を出して読んでいくと、意味がわかってくる。それがお経である。読み続けることが大事である。特に番号を付した1)から 8)までの部分は一般社会の中で人々が犯している過ちと考えると、思い当たることが多いであろう。

<参考資料> 
1.榊原英資:通貨で読み解く 世界同時恐慌  2012年1月5日 第1版(株)アスコム
2.石平  :中国人の正体 中華思想から暴く 2011年7月1日 第1刷 (株) 宝島社
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<世界を変えられるか?>

 第6章では人間の本質にかかわる事柄を中心に、人間が正しく生きるためには仏教的心が必要であることを述べてきた。しかし、残念なことに、多くの人がそうではないのである。人と会って話せばすぐわかることだが、先に述べた貪(ドン)・瞋(ジン)・痴(チ)の煩悩から離れられないで生活をしている人が多い。本人は言葉に出さなくても態度や、普通の会話の端々に表われるものである。

大変困ることの一つは、人が自分自身の経験と知識や考え方のみで、煩悩に捉われていることが分からず、話をしている相手にも適応してしまうことである。こういう人は世の中のあらゆる情報にも自分勝手に解釈乃至は間違った理解をしてしまうのである。いわゆる、無知、無理解、誤解、偏見、勘違いをやっていることに気がついていないのである。









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